ギャンブル依存体験談。生い立ちからギャンブルに狂い自助につながるまで。

どうもReuです。

このページでは自分のギャンブルに狂ってきた過去についてまとめておこうと思います。

興味があればご覧ください。

※機種名なども出てくるので苦手な方はご注意ください

生い立ち

まず最初に簡単に生い立ちを書いておこうと思います。

幼少期

4人家族でしたが父親は4歳くらいの時に離婚していなくなりました。理由は借金を1000万以上して勝手に仕事をやめ自営業等にも失敗して、家庭を全く顧みなかったからだそうです。ギャンブルをしていたかどうかは知りません。

でも父親はほとんど家にいなかった気がします。あまりかかわった記憶がなく、父親の部屋に行ってもよく怒鳴られて追い出されていた記憶しかありません。

あとは母親と父親の取っ組み合いの喧嘩や包丁を向けて殺すぞと怒鳴っている母親の記憶など。まああまりいい記憶はありませんでした。

気づいたら父親は消えていました。あまり悲しいとも思いませんでした。あれ、最近いなくね?みたいな感じでいなくなりました。もしかしたらそこの記憶が欠落しているだけかも。

幼稚園に通っていましたが、なぜか周りになじめずいじめられるという事が多かったです。全然友達らしい友達がおらず、一人で絵をかいたりしていた記憶しかない。何故人に嫌われるのか、いじめられるのか分かりませんでした。

小学校時代

よく分からないけど結構明るいキャラに変わっていった気がする。ただ今思えば自分勝手な性格で人をいじめたり振り回したりすることも多かった。妙に自己愛が強く本当に自己中という感じの性格だったように思う。

友達もいるにはいたがかなり自分中心で振り回していたように思う。他の記事でも書いてますがADHD的な行動が強く問題児だったと思う。

高学年くらいから一人でゲームセンターに行きメダルゲームをすることに没頭し始めました。また外遊びもあまり多くなく家でゲームばかりしていたように思います。

中学校時代

配慮のない発言で女子を敵に回し糞みたいにいじめられていた。直接罵倒、無視、いやがらせなど集団で攻撃されていた。あれだけの事をされて不登校にならなかった自分はある意味すごいと思う。でも自分が先に足を踏んだので自分にも非はありますが…まあこのころの体験を期に寡黙になり疑い深い性格が強まったように思う。女性に対してすごい苦手意識ができてしまったように思う。

また、中学校時代もゲーセンによく通っており、よく一人でポーカーゲームやブラックジャック、パチスロに興じていた。このころから同級生に金がなくなるとお金を借りてたりしていた。

高校時代

いわゆる高校デビューをする笑 それまでは分厚い眼鏡にゲームばかりしている地味な見た目だったが、急に背が伸び、コンタクトにした。相変わらず自己愛の強いキャラだったように思う。

配慮のない発言や行動で部活仲間と特に衝突し、また無視されたりしていた笑 とにかく人との関係がうまくいかない自分…

とにかく学校生活がつまらなく一部の音楽の趣味があう友達とばかりつるんでいた。また、彼女がはじめてできたが、その人もなかなか狂った人であり、その人に依存していたように思う。まあそこらへんの詳しい話は割愛します。

高校時代も賭けは好きで大富豪やビリヤードで賭けをよくやっていたように思う。また、このころからSNSにものめりこみネット上の交友が結構あった。

生きづらさを感じていたせいか、いろんな宗教、哲学、自己啓発本等もたくさん読むようになる。しかし、結局あまりうまくいくことはなかった。

彼女の影響を受け猛勉強し大学に進学する。

ギャンブルの始まり

麻雀

ギャンブルに興じ始めるのは大学受験が終わってからだった。最初は麻雀で、地元の悪友たちと麻雀をやりまくっていた。酒やたばこもすぐに始まり、完全に堕落した大学生活をスタートさせた。

最初は麻雀でカモにされたが、小島武夫の教本などを読み笑 研究しカモられなくなっていった。大学四年間の夜の大半を麻雀に費やした。卒業時に点数表をかき集め集計したが、学生時代の通算収支はプラスだった。それなりに強いと思う。

考えてみればメンツが集まらなかったときなどすごくイライラしていた気がする。また、負けている友達からお金を取り立てるのにトラブった事もよくあった。

ちなみに4年になった時点で40単位残すような自堕落な学生だった。

パチスロとの出会い

パチスロをやりだしたのは大学一年生の夏頃だったと思う。

もともとゲーセンでパチスロはかなり打っていたので拒否感がなかった。

ある日本当にフラッと一人でパチ屋に入った。たばこのにおいが充満し暗い空間のなか台がピカピカ光っていて、大人な雰囲気のところに来たなーという感覚があった。すごくワクワクしたのを覚えている。

そのころは既に五号機時代だった。

はじめて打った台は確かエヴァのまごころを君にだった。それが設定よかったのかは当時はぜんぜんわからなかったが、午後からでっぱなしで6万くらい勝ってしまった。でも、そんなにうまい話はないだろうと閉店までは打たずに切り上げて帰った。

その後日も通うようになり、最初はジャグラーやエヴァ孫を打っていたが、たいした知識もなかったので負けまくった。

その反面いつも勝っているような人達が目についた。いわゆる常連、軍団と言われる人たちで店の癖を知って高設定をいつもつもっているような人達だった。

段々と自分はそういう人たちの輪に入っていくことになった。

軍団時代

パチプロ軍団に交じって大学の授業をさぼりパチスロばかり打つ毎日を過ごした。打つ台は最初はいわゆるAタイプというボーナスのみの台ばかり打っていた。カチカチくんという子役を数える機械を使い設定狙いばかりしていた。

最初はかなり成功した。今思えばエヴァ孫、約束、青ドン、哲也等それなりに設定がわかりやすかったように思うし、店がなかなかいい店だった。嘘だと思われるかもしれないが設定6を掴むことはよくあった。他にはりんかけ、キン肉マン、バイオハザード等良く打っていた。

それなりに設定をつかめるようになると軍団の人たちからも一目おかれるようになり気持ちが良かった。

しかし、段々ART機がメインになり設定がわかりづらい機種が増えるとあまり勝てなくなっていったように思う。負けていて資金が心もとないときには、抽選のクジを引いたり、代うちをするいわゆる打ち子をする事で小遣いを稼いだ。

結局は大学時代は大負けする事はそれほどなく、借金をするような事もなく適度に遊べていたように思う。大事な大学4年を棒に振ったが、自分にとっては最高に楽しい4年間だった。

しかし、ふつうの人が経験する人間関係構築や社会的な責任を養う機会はことごとく逸していた。

就職

就職して上京した。出身は秘密じゃけえ。

はじめての一人暮らしであり、4年間まともな生活をしていなかったこともあるが仕事に順応するのがきつかった。

ここまでご覧いただければわかるかもしれないが、自分は人間関係に割と問題を起こしやすかった。またあらゆる経験や勉強を避け続けていたので周りの人間に比べ子どもっぽく、常識的な行動もあまりできていなかった。

そんな人間が社会になじめるはずがなかったのかもしれない。

とにかく毎日がつらかった。会社にいると自分が自分でないような気がすごくした。本当の自分は糞みたいな人間だという風に心のどこかで思っていたのか、過剰によいこを演じていたように思う。

段々と酒等に逃げるようになり、酒は依存するほどではなかったが周りには心配されていた。また、ストレス発散の為に休日は一日中パチ屋に入り浸るようになった。

段々と勝てなくていいから気持ちよくなりたいという気持ちが強くなっていった。

パチ屋にいると心底ほっとし現実を忘れられるような気がした。

ギャンブル依存発症

休職

社会人二年目の夏、早くも自分は限界に達しそうになった。よいこを装って頑張った結果、責任の大きな顧客を任せられる事となった。大きな案件が複数同時進行し、失注できないプレッシャーが強かった。また、相変わらず会社の人とはコミュニケーションがうまくとれていなかった。

自分はある日、大きなミスをしたのをきっかけに無断欠勤し会社から相当心配されることになった。結果的にはうつ病の恐れもある為休職しろという事になった。

休職している時には給料が振り込まれない。休職手当は3ヶ月遅れで振り込まれる為収入が全くない状態だった。

また家賃も会社が立て替えていたし、給料からの天引きも無くなっていたので住民税なども払っておらず滞納しているという状態だった。

滞納する借金

休職を入るまでに、僕は100万くらいの借金がありました。クレジットカードで作った借り入れ、他の記事でも書いたけど浄水器を買わされたり、無計画な大きな買い物をしたり4社ほどから借金があった。はっきり言って元から金銭管理にだらしがなかった。

また最終的に同期の友達からも50万程お金を借りることになり、スロ仲間の先輩からも30万かりることになった。気づいたら借金が200万ほどある状態になっていた。

休職している間は借り入れ先への返済をする余裕などない状態だった。どうなるかわからないけど、滞納するしかないと腹をくくっていた。

休職に入ったタイミングで貯金もゼロ。親を心配させたくないので実家にも頼りたくないという状態だった。生活費もないので、お金がなくなっては友達から3万、5万と借りてなんとかするようになった。

お金が無いのにやめられないギャンブル

これくらいかつかつの生活をしていてもギャンブルを止めることはできなかった。

生活費としてお金を借りた後に、お金が残り20000円くらいになると、これを元手にスロットを打つような事が多かった。余ったし一勝負しよう、お金を増やそうという感覚になっていたように思う。

たまに大勝ちすることもあったが、いけばいくほど負けが重なった。負けるたびにまた友達にお金をせびる。その度に自分の過ちは清算されてほっとした気分になっていた。

結局友達への借金は50万以上になった。申し訳ない気持ちもあったがそれよりそんな状況になったことで周りからの評判が悪くなっていった事も辛かった。

仕事復帰後

復帰してからも繰り返しスリップ

休職が明けてからもギャンブルは止まらなかった。

毎月お金がないのでギリギリの生活で給料日まで過ごす。電気が止まったり水道が止まったり、訴訟宣告を受けて給料差し押さえにもなった。会社の人にもバレて随分心配されたが、大丈夫ですの一点張りでその場はやり過ごした。

給料が入ったら緊張の糸が切れる。やっと給料が入った。そう思った瞬間にあたまがぼわーっとしてきてパチンコ屋に向かってしまう。

給料日直後に10万、20万近く負けてしまう。という事をなんども繰り返した。先月は大負けだったのだから今度こそとなんども思ったが、その度に負けた。

給料日直後の残りのお金は毎回数万くらいしかのこらないという事もしばしばあった。家賃払ったり光熱費を払ったり、定期を買うと手持ちはわずか数万しかない。会社の定期や外出時の交通費も立て替えなくてはならない。

こんな状態で1ヶ月仕事できるのだろうか。その時になって初めて猛烈な不安が襲ってくる。

そうなると不安を解消するためにまた借金をした。お金が手に入るとまたギャンブルをして無くしてしまった。そんな事を幾度となく繰り返したと思う。

それでも、食べ物を節約したり物を売ったりしてやり過ごす。

お金がかからないように極力弁当を持参するようにした。寝坊して作れない時もあった。昼飯を誘われても、「すみませんダイエット中なんで」とか適当な言い訳をしてお金を使わないようにしていた。お金を使いたくないので益々人を避ける事が増えていった。

給料日が近づくとやっぱりお金は足りなくなってしまう。そんな時はまた友達にお金を貸して欲しいと頼みに行った。毎回、2万くらい借りていたと思う。借りた直後にスロを打って一文無しになる事もあった。

その度に、今度こそ絶対やめる、2度とこんなことはしない、次やったら一生不幸になると自分を追い込んだが、給料日になるとまたやってしまう自分がいた。

そんな事を繰り返し借金だけが増えていった。

現実逃避

パチスロばかり打っていると人との交流が極端に減っていく。

人を避けてばかりいたので当時は孤独だったように思う。飲み歩いたり、大量に酒を飲んだり、暴飲暴食を繰り返していた。金がないのにも関わらず結局お金の使い方は以前のままだったように思う。

また、夜な夜な出会い系のようなもので女の子を見つけてはチャットしたり通話したり、時には実際に会ったりして現実逃避をしていた。寂しい思いを一時的な関係で解消していた。

話が外れるが、そこで出会ったのが後の妻だった笑 (この話も省略します)

妻も仕事や人間関係がうまくいかずに病んでいたように思う。基本的に自分は病んでいる人にひかれてしまうっぽかった。段々と妻にも依存していくようになる。

結婚・出産後

子供が生まれたから今度こそやめる

その後いろいろ省略しますが妻と結婚し同時に子供も授かる事になった。相変わらずギャンブル三昧で金が無かった借金も残ったままで妻は最悪のコンディションの時に自分と一緒になったという事になる。

しかし、正直言って自分が結婚し所帯を持ち、父親になった実感など微塵もなかった。

僕は子供が生まれるというのに、その資金をスロに使い出産費用をも溶かしてしまっていた。最後は妻の母親が密に妻に渡していたヘソクリでなんとかなったが、よかったとほっとしただけであり罪の意識はなかったかもしれない。

しかし、そういう時こそ今度こそやめる。と決意だけはするのだった。

子供が生まれたのだから、今日から俺は変わる。絶対にやめる。そう思った。

しかし、気づいたらまたパチ屋にいた。負けた後に気づいた。

子供のために止めようと決意したことを。うっかり忘れていた。とても後悔したし、なんでこんなことを忘れるんだろうと自己嫌悪に陥った。決意なんてそんなもんでしかなかった。。

家族から逃げるようになった

結局僕はやめられなかった。妻と子供と暮らすようになって1人になる空間がなくなってしまった。

余計に僕はパチ屋に行くようになった。毎回適当な嘘をついて、パチ屋に行った。休日は朝になったら居ても立っても居られずパチ屋へ通っていた。平日は残業だとか、会社の飲み会があるなどと嘘をつきパチンコ屋によっていた。

完全にワンオペ育児だった。

また、家に帰ってはゲームばかりしていた。オンラインのFPSにのめり込み、家族を放置していた。よくキレて妻に当たったりもしていて完全にモラハラ夫だった。兎に角1人になりたかった。なんで結婚したんだろうと思うことも度々あった。自由な時間を奪われた事を恨んだかもしれない。

スロに行っては負けを繰り返し、段々と手をつけてはいけないお金にも手を出すようになった。例えばこどもの幼稚園の入学金などである。

そうした事を繰り返すうちに自分がスロットに入り浸っていることがバレた。

愛想をつかして家族が家を出て行く

ある日本当に突然妻は家を出て行った。

全く育児に協力せず休日はフラフラあそびあるき、ギャンブルで金はとかし、帰ってきてはゲームばかりしている自分に愛想をつかしたのだろう。

家に帰ると渡していたキャッシュカードが置いてあり、何も書かずにいなくなっていた。

その瞬間ひどく後悔し何度も何度も電話した。3日くらい電話してやっと繋がった。妻は泣きながら如何に自分が寂しかったかを話した。自分も泣きながらごめん、もう2度としないと謝った。何度も謝り絶対自分を変えるからみたいな事を言ってあやまった。

その時もほっとしただけだったかもしれない。

脱ギャンの開始と再発

しかし、それからは掲示板やツイッターなどで禁スロ日数を呟きながら辞める手法を取り始めた。やめるための道を一応は歩み始めた。

最初は順調だった。

妻に家計管理を一任し二年ほどで借金も完済していた。自分はもう大丈夫だと思っていた。ギャンブル依存を克服したのだ、スロットから解放されたのだと喜びを爆発させていた。

しかし、段々と借金もなくなったし適度に遊んでもいいんじゃないかと思うようになったのかもしれない。

しばらくやめていたのにまたスロットをやってしまった。きっかけは会社から振り込まれるボーナスだった。

これまでは借金返済に充てていたのでボーナスはほとんど手元に残ることがなかった。しかし、借金を完済したことで自由に使えるお金が急に何十万もできたのである。

最初は3万だけという気持ちだったが、気づいたらボーナスは無くなっていた。

そこでまた一切やってはならないと決意して禁スロを始めた。

しかしまたボーナスが入ってはスリップをするということを幾度となく繰り返した。自暴自棄になりもうどうやったらやめられるのかも全然わからない状態になってしまった。

スリップとリバウンドを繰り返す中で試行錯誤もした。

もう自分はやめられない人間なのだから、勝てば良いのだと勝ちにこだわるように変えたりもした。しかし、結局自分はコントロール不能だった。

勝って余裕ができるとハイリスクな賭けに走ってしまいその度に後悔しては立ち回りを改善しようと決意した。

しかし、結局無理なもんは無理だった。

どんどんリスキーな台ばかりを打つようになっていった。ミリオンゴッド、沖ドキ、リノ、パチンコのMAXタイプの台などである。また、仕事もさぼり癖が加速していった。

仕事が辛い、面倒だと思うと空アポなどを適当にいれてパチンコ屋にいく。スーツ姿で朝からパチ屋の抽選に並ぶ。そういったことが増えていき会社でも問題視されるようになっていった。

その間、ツイッターの仲間からもいろいろと支援の声がけをしていただいたが、全て無下にしてしまった。自分は養分じゃないと思い込みたかったし、みんなの助言も全てどうでもよくなってしまっていた。

でも結局はたいして勝つことができず、時間ばかりが無駄になっていった。何が正しいのかさえも全くわからなくなり、一回ツイッターをやめてしまった。

転職

その後会社に居づらくなっていき、僕なりに考え転職した。リスキーな転職をしたことで給料を上げることには成功した。妻も働き始めた。収入が上がれば全ては解決すると思ったのかもしれない。

しかし、増えた収入も結局は溶けていった。

半年で100万近いお金を溶かした。その頃もある程度勝ちにはこだわっていて、うまくやっているつもりだった。しかし、結局は負けてしまった。高設定を掴んでもでない、レアなフラグを引いても出ないということが頻繁に起こった。しかし、負けるときはきっちり負けた。勝敗は全く左右対称ではないんだなとクソほど思った。

また、調子が良くなってくるとリスキーな台で快楽を求め一日で10万以上負けるという異常な負け額も増えていった。

結局の話、お金に余裕ができれば、適度に遊べると思ったが張る金額が大きくなっただけであり生活が苦しいのは変わらなかった。

給料をあげて辛い仕事をしているのにも関わらず生活の質が上がらない事実。パチが最優先になり仕事がおろそかになる日々が続いた。

結局、何をしてもコントロールできない自分。休職しようが、子供が生まれようが、転職しようが、妻が働いてくれようが何をしても変わらない自分。ギャンブルに引きずられて人間関係も仕事も生活も全てむちゃくちゃな自分。

ここまで来てやっとギャンブルに敗北したのだという気持ちになったのかもしれない。。正直よくわからない。やめなければと思ってから5年くらいたっていた。

自助会につながる

自分でも何がきっかけなのかよくわからないけども、ふたたび禁スロを始め今では初めて自発的に自助会に通い仲間と共に回復の道を歩みはじめた。

自助会の存在ははやくからSNS上の仲間が教えてくれていたが、そんなものはなかなか受け入れられないでいた。そんなとこに通わなければいけない人などかわいそうな人としか思えなかった。しかし、もう自力で辞めるのは無理だと観念したという事かもしれない。また、自助会に通う人たちが謙虚な態度でギャンブルから離れられている事に関心を持った。

今やっと自分がギャンブル依存症でありコントロールを失っているという事を自覚しはじめているように思う。また自助会ではいい子ちゃんでいる必要はないと感じており非常に楽な自分に気づいた。

これからも衝動の前に何もできない事もくるかもしれないし険しい道だと思うけど、諦めずに仲間の力を借りながらギャンブルをやめ続けたいと思う。

以上です。

読んでいただきありがとうございました!

 

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