プロフィール

はじめまして。

ギャンブル依存症のギャンネコです。

1980年後半生まれです。ADHDの診断を受けており、仕事は営業職を何とかやっています。

自分がギャンブル障害だと自覚しており、ギャンブル依存症当事者の自助会に参加しています。

このブログのテーマ: ギャンブル依存症からの回復

このブログのテーマとしては「ギャンブル依存を寛解させ生きやすい状態を目指す」という事を一応掲げてます。

でも、まあ基本的には書きたいことを書いている個人ブログです。

好き勝手書いていますが、何らかの気付きが同じような悩みを持っている人に与えられれば幸いです。

ギャンブル依存症についての記事は多数書かせていただいていますが、これらはGAを代表する意見ではありません。といいますか、もしかしたらGAとしては推奨していないような事も書いているかと思います。

これらは、あくまで個人の考えですし、やめ続ける中で変化した考えもあるのでその点はご了承いただければと思います。また、別にGAのやり方に固執するわけでもありません。本人が結果的に辞められれば何でもいいと思っています。

自分のギャンブル依存症履歴

依存対象

やっていたギャンブルはほとんどがパチスロです。

パチンコもたまには打ちますが、それほど興味はなく、公営ギャンブルなど他の賭け事にも興味がありませんでした。また投資なども興味がないし怖いとすら思います。

兎に角パチスロばかりを10年以上、ゲームセンターで打っていた時期も含めると20年近くやり続けてきました。

きっかけはゲームセンター

きっかけはゲームセンターのスロットマシンでした。小学校高学年くらいの頃からゲームセンターのメダルゲームに興じていたのを思い出します。

最初はポーカーやブラックジャックなどにハマっていましたが、段々とパチスロ台に興味を持つようになったいきました。当時は仕組みも打ち方もよく分かっていませんでしたが、3号機や4号機のスロットをゲームセンターでよく打っていました。

当時からあの1人で興奮できる空間に魅力されていたと思います。メダルを大量に獲得する優越感、ボーナスやATに当選した時の興奮はお金はかかっていないけれど十分なものがあったように思います。

大学生時代(18歳)

本格的にスロットを打つようになるのは、高校を卒業した頃でした。ゲームセンターのスロットに親しんでいた自分が、本物のスロットへ移行する事に殆ど障壁はありませんでした。

最初は大金を失うことも怖くジャグラーやエヴァンゲリオンなどのAタイプ機種しか打っていませんでした。

しかし、哲也という5号機初のART機を打ったこと、たまたま高設定に座る事ができ大勝ちした事でパチスロの魅力に取り憑かれていきました。

そのことをきっかけとして、パチスロの根本的な仕組みや解析に興味を持つようになり、また勝っていることの多い個人や集団がいる事にも気がつきました。

もともとのめり込みやすく凝り性な性格だったので、自分なりに研究し、いつのまにか半分プロ気取りでスロットを打つようになっていました。

実際に、プロ集団に混ざって乗り打ちをしたり、ピン打ちでも設定を掴み勝ち額を重ねるという事が増えていきました。当時は集団からも一目置かれていたし、その事が嬉しくもありました。

ですが、その代償として大学生活の勉学の時間、進路を考える時間、サークル活動や旅行などの時間。そういったものを失っていました。大学時代はほぼ授業に出ず、朝から晩までパチスロ、夜は麻雀という怠惰な日々を過ごしました。当時はそんな日々が最高に楽しいと思っていましたが、今から思えば後悔は大きいです。

社会人時代(22歳)

大学卒業後、サラリーマンになってからは必然的にパチスロを打つ時間が限られていきました。

パチスロをされる方はわかるかもしれませんが、スロットで勝つためには下見なども必要ですし、朝早くから並んだり、天井や特定のゲーム数を打つために台を観察する必要もあります。

サラリーマンになると時間的制約によりそういった事が出来なくなりますし、唯一朝から打てる休日は店も設定をいれない傾向がある為、勝てるものも勝てなくなっていきました。更に規制の強化や換金率の悪化等で余計に勝てなくなって行きました。

ギャンブル以外の面では、元来発達障害もあった自分は対人関係のストレスが大きく仕事もうまくいきませんでした。段々とそのストレスやプレッシャーのはけ口としてギャンブルを利用するように変わっていきました。

その頃からもう勝ち負けはどうでもよくなり、パチ屋で一日中気持ちよくいられることだけを求めるようになっていきました。

うちに行く際も、勝てるとは別に思っておらず、あと何円は負けれるなあという気持ちでパチ屋に向かっていました。

元々スロットである程度成功できていた事のある自分には、到底当時のこのような状況でスロで勝てるようには思っていませんでした。負けが続くことが分かっていてもスロットから離れられなくなっていき、ひたすら一時的な快楽のみを追求していくようになりました。

結婚と生活の困窮(25歳)

独身ならまだそのような生活も何とかなっていたかもしれませんが、結婚を契機にギャンブルをやる余裕などなくなっていきました。計画的に結婚に至った訳でもなく、所謂できちゃった結婚でしたので突然の事でした。生活をすぐには変える事もできませんでした。

結果的に、生活が苦しくなり生活費のために借金をしたりする事が増えていきました。その間に使ってはいけないお金を使い込んだり、高価な持ち物を売ってギャンブルをしたり、普通の人から見て異常な行動が増えていきました。仕事もうまくいかず休職した事により完全に収入がなくなり、借金の返済額を差し押さえられたりもしました。

この頃から段々と自分はおかしいという事をある程度は自覚し始め、会社の上司や信頼できる先輩にも相談してお金も工面してもらいました。そして、できることならギャンブルを辞めたいとこの頃思うようになったとおもいます。それが26歳くらいの時だったかと思います。

脱ギャンブルの開始(26歳)

その頃より自分で試行錯誤しながら禁スロを続けてきました。2chの禁スロのスレッドを使ったり、ツイッターを使って禁スロ日数を積み重ねたり。しかし、結局約5年間、スリップを繰り返しています。恐らく細かなスリップも含めれば100回近くやめようとしてはスリップするという事を繰り返しています。

結果的には確かに頻度は減ったかもしれませんが、結局はコントロールできないということが続いていますし、借金も完済したものの貯金は一切できず生活は自転車操業。家族も狭い家に住まわせ、人並みの暮らしも満足にさせてやれない状態が続いていました。

転職後リバウンド(29歳)

収入面の転機が訪れたのは29歳くらいの頃の事です。妻は結婚してから専業主婦でしたが、就職先が見つかり収入が増えました。また、自分も転職をする事で給与を上げる事に成功しました。その結果月当たりの収入は倍以上に増える事になりました。

しかし、ギャンブルはやはり止まりませんでしたし、むしろ悪化しました。具体的には月に30万も使うような事も出るくらいに賭ける額が増えていきました。お金に余裕があれば好きなだけパチスロ打てると思ったのに、それも無理なんだと思いました。この時ギャンブルとうまく付き合うなんて無理なんだと身に沁みたように思います。

現在(30歳)

その結果、自分がお金を持っていてはろくな事にならない、持っていてはギャンブルをやってしまうからという事を妻に相談し、殆どのお金を妻に管理してもらうようにしました。僕は月5万分割でもらったり、電子マネーで貰ってそれでやり繰りするようにしています。

それがいい方法なのかはわかりません。でも今は、2018年9月からギャンブルが止んでいる状態です。

ただ、ギャンブルが止まるという事はこれまで何度も経験していますし、このままではいけないという気持ちがありました。

その結果、ツイッターの方の紹介もあり長年繋がるのを避けてい自助会に繋がる事になりました。

自助会につながる事で、この依存症という病気は意志で何とかなる問題ではないという事、依存に頼らない自分に変わる必要があるという事、仲間の存在や居場所がスリップを抑制してくれる事。こういったことが少しづつわかり始めてきました。

こうして振り返ってみると歩みは始まったばかりですが、依存症からの回復を目指してこれからも頑張りたいと思います。

よろしくお願いします。

生い立ちなど

幼少期

某地方で生まれる。両親が離婚し母子家庭に。幼稚園には馴染めずいじめられていた。

保育園に移ってからはいじめられることがなくなった。また祖母の家に預けられる事も多く自然の中で過ごすことが多かった

小学生時代

明るいが落ち着きのないこどもだった。高学年くらいからメダルゲームやスロットをやり始める。塾にも通い始めて、塾が好きだった。目が急激に悪くなりガリ勉風の見た目になる

中学生時代

ガリ勉キャラが定着するが、基本は落ち着きがなく、周りから浮いた存在だった

不用意な発言などで男女問わず衝突が多かった。だんだん寡黙になり人目をきにするように

高校生時代

人目がきになる状態が続く。メガネをやめコンタクトにかえる。やはり周りに馴染めず孤立しがちだったが数少ない友達とはじめてできた彼女のおかげで何とかすごす。受験は運良く進み国立大学にいく。

大学時代

前述の通りギャンブルざんまいの日々をすごす。4年次に40単位も残っていたがなんとか留年せずに卒業。就職の結果上京。

つづきはまたいずれ書きます